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たびのあとさき

ソウル在住もうすぐ19年目突入

国家観・歴史観でも韓国憲法と相容れなかった朴槿恵大統領(2)

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(1 )からの続きです

父の名誉回復がライフワークだった娘

朴大統領が、父の名誉を回復したいとの強い意志を抱き続けてきたことは、よく知られた事実です。

ここに、その心情を克明に記録した映像があります。ネットメディア「ニュース・タパ」が、2012年9月に民族問題研究所の資料から発掘して報道した、1989年5月19日放送のMBCインタビューです。

 


当時38歳の朴槿恵氏は育英財団の理事長を務める民間人でした。政界進出を果たす約9年前の時期にあたります。

この中で、朴大統領は次のように語っています。

「父の業績に関する、歪曲された報道や評価について、言いたいことがある」

「私は5·16(軍事クーデター)が、救国の革命だったと信じているのに(世間の評価には承服しがたい)」

この発言については、元MBCアナウンサーで野党・民主党の大物議員、朴映宣も、朴大統領の歴史観に問題があるとしながら、紹介したことがあります。聯合ニュース 2015年10月17日 박영선 "새물결 깃발 같이" 제안...안희정 "전적으로 동의" | 연합뉴스

朴大統領が進めている高校歴史教科書の国定教科書化も、結局は、父親の名誉回復が目的ではないか、という指摘でした。

 

「正しい歴史」へのこだわり

朴大統領は、現行の歴史教科書の歴史観に問題があるとし、「正しい歴史」の必要性を掲げて、教科書を国定化しようとしてきました。

その裏に、父の名誉を回復したいとの意思が働いているのは間違いありません。

先の1989年のインタビューにある、次のようなやりとりが目を引きます。

質問者

「(朴正煕は)1972年に南北共同宣言を行い、同じ年に(十月)維新を行いましたよね。わずか三ヶ月後の10月17日に。それで、民族の悲願である統一を自身の長期政権のために利用するという悪い前例を残したという批判がありますが、それについて反論できますか?」

 

朴槿恵

「それこそまさに歴史の歪曲です。私達は日本人になぜ他国の歴史を歪曲するのかと、デモをしたりもしました。もちろん日本も韓国の歴史を歪曲してはいけませんが、私達も私達自身の歴史を歪曲してはいけません。なぜなら、(父が)国を救うために、酷い悪口や非難に甘んじながら下した決定について、政権延長のために安保を利用したなどと弁を弄して、これからの世代にそのまま信じさせるようなことは、本当に大変な歪曲です。そのようにして韓国の歴史が歪曲されるということは、他人によって歪曲されることより、さらに悲しいことだと思います。(略)」

(書き起こしは문재인탐구생활/유나톡톡 より)

 

どうでしょうか。父に対する評価への不満と、歴史が歪められているという認識が直結しています。またその「歴史の歪曲」が教育を通じて定着することを危惧していたことも分かります。

 

憲法前文から排除された、朴正煕の「5.16

先ほど見た憲法の前文には、1960年に起きた「4・19(義挙)」の民主理念を継承するとありました。この「4・19」が前文に含まれるようになったのは、朴正煕が行った最初の改憲(第五次改憲、1962年)の時のことです。しかしこの時には、手前味噌にも、朴正煕自身が起こした「5·16 軍事政変(ただし『5·16 革命』と表現)」も「4・19」に続けて記述されていました。

 

悠久の歴史と伝統に輝く我々大韓国民は、3.1運動の崇高な独立精神を継承し、4.19義挙と5.16革命の理念に立脚して新しい民主共和国を建設するにあたり(以下略)

 

実は、民主化勢力の側からは、「4・19」によって芽を出した民主化の希望が、その一年後の「5·16」によって未完成のままで幕を閉じたと評価されています。

しかしこの改憲時の前文では、二つをセットで記述することで、前者と後者が一体化しているかのような印象を受けます。「4・19」を組み合わせることで「5·16」を正当化する意図があったのかもしれません。

この「4.19義挙と5.16革命」という記述は、その後1980年の第八次改憲全斗煥政権下)の際にそっくり削除されてしまいます。

そして、その次の1987年の第九次改憲(現行憲法)の際に、「4.19」の方だけが復活することになります。

この1987年の改憲は、一般に「韓国の民主化」として広く知られる6・29民主化宣言を受けたものです。この時、韓国の民主化のルーツという評価から、「4.19」が第五次改憲の時とは異なる趣旨で復活する一方、「5.16」への言及は見送られました。「4.19」を高く評価する民主化勢力の目には、「5.16」は軍事クーデターでしかないからです。

この「5.16」の「排除」は、朴大統領にとっては、父の業績への不当な評価を象徴する出来事だったに違いありません。

 

http://image.news1.kr/system/photos/2016/7/14/2031766/article.jpg

(1987年改正時作成の憲法原典・憲法裁判所所蔵 [제헌절기획①]대한민국 68년 헌정사는 '헌법유린'의 역사 より)

 

 

大韓民国の起源」に対しても消極的な朴大統領

では憲法前文に記された、「憲法精神」の最初のルーツ、大韓民国臨時政府について、朴大統領はどのような態度を示してきたのでしょうか。

朴大統領は、2015年9月4日、訪問先の上海で大韓民国臨時政府庁舎の再開館式を訪れました。そして「生きた歴史教育の場」といった表現で、その意義を強調しています。これを見る限り、臨時政府の評価に積極的のように見えます。

ただし、この臨時政府庁舎への訪問は韓国大統領が上海を訪れる際には、恒例となっており、現職大統領として特別な行動ではありません。特にこの時は、中国側の全面的な協力によって改修が実現したことを受けての再開館であり、中韓関係の蜜月ぶりを示す上でも当然必要な訪問だったと言ってもよいでしょう。ちなみにこの時の中国訪問で、朴大統領は、ハルピンや西安でも、安重根や光復軍の足跡を尋ねています。

一方筆者は、こうした行動とは裏腹に、朴大統領が臨時政府を評価することに後ろ向きだとする、臨時政府関係者子孫の証言を聞いたことがあります。

話してくれたのは、「大韓民国臨時政府記念事業会」の会長を務める、金滋東(キム・ジャドン)さんです。

f:id:tabisaki:20161006144637j:plain写真:吉方べき

 

金会長は、1928年に上海臨時政府の構成員一家に生まれ、本国の「解放」を受けて帰国するまでのそのコミュニティーの中で育ち、主席の金九(キム・グ)から息子のように可愛がられていたという、いわば臨時政府の生き証人です。現在は、2004年に自身が設立した同事業会の中心人物として、臨時政府を記念する公的施設の設立を目指し、精力的に活動しています。

金会長によると、朴槿恵氏が大統領になって以来、臨時政府記念事業への国からの支援を取り付けるどころか、政府に関心を持ってもらうこと自体が難しくなったと言います。その理由として、臨時政府を称揚することと父・朴正煕の評価の立て直しは両立しがたいとの意識が働いていると見ている、と話してくれました。

実は臨時政府が憲法前文に明記されるようになったのも、「4.19」の復活と同じく、1987年の第九次改憲(現行憲法)からです。「臨時政府の法統の継承」という考え方は、もともと民主化勢力の方に優勢な考え方なのです。

金会長が「臨時政府記念事業は(リベラルの)金大中盧武鉉の時代に、完成させておくべきだった」と語るのも、こうした事情を示しています。

  

国定教科書「正しい歴史」でも軽んじられた臨時政府

上でも書いたとおり、朴大統領は歴史教科書の国定化を重要政策として推進してきました。

皮肉なことに、その国定化の実際の内容が明らかになったのは、崔順実ゲートで国政が荒れに荒れていた11月26日のことでした。この日に、中学と高校の歴史教科書の検討本(見本)と、執筆陣が公開されたのです。

実は、ここでも臨時政府の扱いを巡って、大論争が起きています。

国定教科書が、1948年8月15日を「大韓民国政府樹立」ではなく、「大韓民国樹立」と記述しているからです。

何のことかと思うかもしれませんね。これについては、次の聯合ニュース記事が参考になるでしょう。

韓詩俊(ハン・シジュン)檀國大教授は「『大韓民国建国』と書きたいが、あまりに反対が多く、かといって『政府樹立』とは書きたくないので、『大韓民国樹立』と記述するという『汚い手』を使った」(略)と指摘した。

保守陣営が1948年建国説を主張する以前は、歴史学界で大韓民国の建国時期について論争はほとんどなかった。

1919年に大韓民国臨時政府が国号を大韓民国と定め、国民主権の原理を打ち立てたことを大韓民国の成立とみなすのが、当時まで定説だったからだ。

1948年制憲憲法は「大韓民国は己未(1919年)三一運動で大韓民国を建立し、世界に宣布した偉大な独立精神を継承し、今や民主独立国家を再建するに当たり」とし、1919年の大韓民国建立と1948年の再建を明記している。

聯合ニュース "건국 사실 제대로 표현" vs "보수진영 논리 반영"

 

SBSの記事でも、次のように解説しています。

これ(筆者注:「大韓民国樹立」の記述の裏にある大韓民国建国説)はニューライトら保守の一部から、長らく主張され続けてきた建国史観であり、「大韓国民は3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統を継承する」とした憲法精神を否定する、反憲法的視点だとの批判が起きている。

 

また1948年以前の臨時政府と抗日運動の歴史や意味を色褪せさせ、親日勢力までも建国功労者として認定し、親日派に免罪符を与えようとする意図が込められているとの指摘も出ている。

(SBS 국정교과서, 현대사 부분 현대사 전공자는 단 한 명도 없어 )

 

このように、国定教科書における臨時政府の取り扱いが、朴大統領による「歴史書き直し」の代表例として注目を浴びると共に、理念対立の最前線となっているのです。

 

 

 その(3)に続く